私は、幼くして母親を海難事故で亡くしました。
そう聞かされて、事実を目の前で見せられてしまったから、そう信じるしかありませんでした。
ただ、遺体を目の前で見て確認をしたわけでもなかったので、亡くなったというより
ある日突然、目の前から消えてしまった、そんな感覚でした。
母の死をはっきりと受け入れられなかった私は、いつか母が帰ってくるのではないかと
そんなことをずっと思い続けていました。
最後の母の記憶が、口喧嘩だったので、後悔をし続けていました。
 20代になり働くようになって毎日の忙しさなんかで、母のことを考えることも時間とともに減っていきました。新聞の求人欄で見つけた転職先。中 途採用で大した経験もない私には、なかなか厳しい職場でした。職場は建て替えて新しいシステムをたくさん導入していたようでした。
私の配属部署は、そのシステム関係の会社との窓口になっていました。
その関係で出入りしていた業者のひとりの人と、付き合うことになりました。
そして、結婚・妊娠。

 結婚や妊娠ということには、女親が相談に乗ってくれることが多いのでしょうが、私にはその母親という存在がいません。母の死を受け入れられないままだった私は、結婚式をすることを断りました。必ず、母親不在のことについて触れられる。それが嫌でした。
その頃から、再び母のことを考えるようになっていました。
こんな時、母ならどうするのだろう?何て言ってくれるのだろう?

 そして、妊娠しました。結婚して見知らぬ土地で暮らしていた私には、
妊娠しても相談に乗ってくれる人がいませんでした。
こんな時、お母さんがいてくれたらなぁ…と何度も思いました。
予定日までの妊娠生活は、決してラクなものではなく、何度ともなく入退院を繰り返しました。
それなのに、予定日になっても出産の兆候がまったくなく、どうしようかと主治医の先生から嫌味を
言われたほどでした。

 ある晴れた早朝、寝ていた私は、それまでに感じたことのない変な感覚とともに目が覚めました。
体は動きませんでした。陣痛らしき腹痛も始まってきたようでした。
布団の上で、直立不動のような姿勢のまま、目は開けていて意識ははっきりしていましたが、体を動かすことができません。体は動かなかったのですが、視線を動かすことはできました。
頭の左上のほうに何か不思議な感覚が起こりました。すごく明るい光のようなものを感じていると
そこに母が立っていました。声をかけてくることはなく、表情も服装もわからないので
誰だったのかわからないと言われても仕方ないのですが、私には母でした。
母は、宙に浮いたような感じで上のほうから私を見下ろしていました。

 その日、私は出産しました。初産なのに驚くほど軽い出産だと主治医と助産師、看護師のみんなが
口をそろえて言いました。私は、きっと母が見に来てくれたおかげだと、今でも信じています。
その後、私が母の姿を意識することはなくなってしまいました。できることなら、また会いたいと思っています。